2018年1月10日水曜日

【健康を見つけた方々】ミルクを自力で口から飲み始めた! 低酸素脳症で生まれた乳児

「○司も今年(平成25年)、小二になりました。先生にお世話になっていた頃がなつかしく思い出されます。最初にうかがった翌日には自力でミルクを飲み始め、生きることを選択してくれたことに感謝しています。いつか家族で足を運びたいです。(お母さんからの年賀状から)」

○司くん 生後8ヶ月(H17.3月初めころ来院)
小児の神経系はきわめて可塑性が高いために、大人ではみられない驚くほどの変化がみられます。重度のてんかんのために、脳の半球を除去された小児でも、片側の脳半球がそれを補い通常の発育はもちろんのこと、ときには驚くべき才能を開花させることもあります。それだけ小児にはかぎりない可能性が秘められています。その秘められた可能性をうまく引き出すことが私たちの役目と思っていますが、私たちの分野では往々にして施術者自身の考え(理論)が先に立ち、こうかな、あれかなとあれこれ無理な治療を強いているように思えます。このような治療ではたいていうまくいきません。私たちだけでなくすべての生き物は、この地球で大きな生命(いのち)に育まれて生きています。可塑性の高い小児こそ、この大きな生命にゆだねてこそ解決する問題があるように思えます。秘められた可能性が開く為すべきすべがあります。それは大きな生命に、小さな生命を開いてあげることと確信を持ちつつあります。
呼吸は身体の枠を超えてひろがりをもつことが可能です。そのような呼吸を、私は「呼吸がひらく」と言っていますが、透明感のあるひろがりとして感覚化できます。小児はこの透明感のあるひろがりができるように、施術者である私自身が透明感のある呼吸で接するだけなのです。若いお母さんが一緒に連れて治療に来たときなど、赤ちゃんが鼻炎や中耳炎などでぐずついているときに、そっと施術してあげると翌日には良くなったと報告してくれる方が多くなり、少しずつ確信的な思いができてきていました。今回、それがさらに大きな確信として実感できたケースでした。

最初はお父さん自身が左の首筋がつらいという愁訴で来院。身体呼吸でみると左胸が重く曇った感じがあり、なにか悲しいことあるんじゃないですかと尋ねたところ、赤ちゃんのことを話し始めました。出産時、臍帯が巻き付き心肺停止の状態に近かったということで、ミルクを飲むことができず発育が著しくそこなわれている状況にあることを話してくれました。「実は、赤ん坊の方の治療に適しているかどうか試しに来てみた」ということであった。父親の症状が数回で解消していったために、安心して赤ん坊を連れてくることになったのです。
 手に抱いた赤ん坊は、鼻から細いチュープを差し込み、そのチューブが頭に貼り付けてありました。赤ん坊はほとんど身動きせずぐったりとした感じで、眼は右を向いたままで、微妙に眼振が起こっていました。どちらの方向に急速相があるのかわからないほどです。涙の出方を尋ねると、右眼からはあまり涙が出てこないとのこと。小さな手のひらに、指で触れても握り返してきません。眼で見ている対象に注意がいってないようです。ときおり仁王様のような原始反射的な動きが見られることもあります。表情に偏りはありませんでした。泣いたりもしないので口の中を見ることができず、舌の偏りなど確認はできませんでした。
 これまでの経験から、最初はスッと透明な感じに接触できるように、ほんの一瞬だけにとどめました。できるだけこちらが大きな介入(侵入)とならないように注意をはらったわけです。私がちょっとの間抱いていた赤ん坊を返されたお母さんには、何をしてもらったのかもわからずに戸惑ったかも知れません。最初はあまり刺激したくないことを告げて、様子を後日聞かせてもらうことにしました。
 お母さんがミルクをあげるのに、注射器を取り出しチューブから数回ミルクを押し出している様子を目の当たりにして、痛いほどつらい親御さんの悲しみが伝わってくるようでした。
 最初の治療から翌日、これまでになくミルクを多量にしかも速やかに自分の口から飲んだと言うことで、お母さんが喜びと驚きの様子で電話をくれました。ひょっとしたらミルクを飲めるようになるのかも知れないという期待感が、最初の出会いから膨れ上がってきたのです。
 二回目に来院されたときには、両眼は左にも向くようになっていました。母親をさがすような気配もありました。小さな手のひらに触れると握り返してきます。確かに何か変わった印象が強く感じられ、初回の接触がこれほどの変化を起こすものかと私自身、驚かされました。今回もまた、できるだけ介入を避けるように一瞬、透明な呼吸で接触しただけでした。そしてお母さんに返すと、一緒に連れ添ってきた初孫で心配でしかたがないというお婆ちゃんが、エッと驚いたように「これでわかるんですか」と声をあげたくらいです。お母さんは、「抱けばいろいろとわかるようです」と応えていました。これまでにもなくミルクを飲み始めたという出来事で強い信頼を得ることができたようでした。この赤ん坊にとっても幸いなことだったと思うわけです。何の変化もなかったらこのような信頼は簡単に得られるわけでもないのです。運があったのかもしれません。週に二回、こうして赤ん坊を治療することになりました。徐々に神経学的な刺激を加えることも併用しました。あるとき右眼から涙がジワッとわき上がってきました。確かに刺激が伝わっているのです。
 二ヶ月近く経ったのでしょうか、あの痛々しいチューブが付いていません。尋ねると、かなり自分で飲むようになり、治療室ではヨーグルトを一つたいあげるほどになっていました。これで最初の親御さんの希望であったミルクを自力で飲めるということが叶ったのです。


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ご挨拶|身体呼吸道とは

1978年ころアメリカで頭蓋療法Craniopathyに関心をもってから、それ以来ずっと身体の息吹ともいえる身体内部の圧変動を感じるままに探求してきました。その過程で、日本人的な感性からハラ呼吸を意識するようになり、能の息遣い、居合のハラの据え方などを習いながら、ハラ呼吸のメカニ...