2018年1月11日木曜日

【健康を見つけた方々】鬱や、顎関節症でもそうですが、心身の異常をきたしている患者さんには、脳の活動にめりはりを与えること(脳のデフォルト・モード・ネットワーク)が大事なように思えます。

外界から刺激が無くても、本来の脳に内在する自発的な活動をおこなっているネットワークをデフォルト・モード・ネットワークと呼びます。このネットワークは目を閉じてぼんやりとしているときに活動していますが、意識的に集中して課題をこなしているときには、そのための大脳皮質の活動に道をゆずるかたちで、デフォルト・モード・ネットワークの活動は低下します。

私たちの脳の活動は意識的に外に向かって集中してはたらいていることが多いのですが、その一方で内向きにはたらいている脳のネットワークもあり、たがいに脳の活動を一緒に支えています。ところが一方が活動しているときには他方のネットワークの血液の供給が低下するという具合に、めりはりがあるのです。ところが、外に向かってはたらくネットワークの活動が休むことがなくなると、脳の活動にめりはりがなくなるようなのです。そうしますと脳のはたらきは混乱してしまいます。それがさまざまな不定愁訴となって全身にあらわれくると思うのです。鬱の状態ではこうしためりはりがみられないことがわかっています。脳の異なるネットワークの間に、めりはりをつけることが必要だと考えています。

瞑想は、自己を鑑みることで思考や感情をコントロールし、「今ここにある」ことに集中できるようなデフォルト・モード・ネットワークになっているとあります。これをヒントにデフォルト・モード・ネットワークに導く方法を考案しています。

デフォルトモードネットワークについて詳しく知りたい方
http://obahiroshi.jugem.jp/?eid=130
http://obahiroshi.jugem.jp/?eid=131


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【健康を見つけた方々】顎関節症は全身に障害をおよぼします。

顎関節症から自律神経失調になることは全身咬合学会のテーマとなっているほどです。
顎関節の咬む運動は第1-2頸椎を支点としています。したがって頸椎に異常があっても、あるいは歯の噛み合わせに問題があっても、全身に障害を引き起こしてゆきます。歯はたいへん敏感な器官ですから、その違和感にたいへんなストレスとなり心身の変調をきたすことが少なくありません。
頭蓋-顎-頸椎それに土台となる胸郭を一つのまとまりとしてみて、さらに全身的にバランスをはかることが必要です。歯の噛み合わせはなめらかな曲線(アランの咬合円)を描くことが知られています。それが脊柱の前後の彎曲のかたちに影響するようです。機能神経学的に考えてみても、顎関節は頭位のバランスに関わり、姿勢を制御するしくみ(神経機構)にも関与してきますので、咀嚼筋の緊張は頸筋や起立筋の緊張へと関連してきます。実際に咀嚼筋に触れるだけで反射的に頸筋の緊張バランスが変わります。


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【健康を見つけた方々】ストレスからくびの痛みが・・・|くびを動かせず苦痛に歪む歯科医の先生を例に

歯科医の先生方が訴える障害、頸の痛み/腰の痛みは治療中の姿勢からきています。それに一日何十人と神経を集中させながらの細かな仕事は、脳に過剰な負担をかけているところがあります。くびが動かせなくなったと来院される歯科医の先生方、首から肩への筋肉の緊張はとてもとても揉みほごせるものではありません。脳の中で異常に興奮している神経細胞があるからです。それをどのようにして速やかに興奮をおさめることができるか、それはやはり脳の呼吸運動を通してバランスをはかる方法しかないように思えます。
歯科医の先生方だけでなく、ストレスのためにくびの異常な緊張に悩んでおられる患者さん方も同様です。全身を通して身体の深い呼吸を引き出し、そして脳の呼吸運動へと導く操作で寛解させることができます。施術に1時間近くがかかってしまうことがありますが、寛解させるために必要な時間です。

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【健康を見つけた方々】咽頭異物感、嚥下時の違和感、鼻と耳にも違和感、治療家自身が不定愁訴の苦しみに

45歳の男性、岡山ではばひろく活躍している先生、“死にそうなくらいつらく苦しい”とやってこられました。パニック障害に似た強い不安感に陥っていました。
海外からの講師がおこなうセミナーには欠かすことはなく参加され、医学知識やさまざまなテクニックに精通した専門家です。セミナーでテクニックのデモとして施術を受けたりしているうちに、頸に手をそえられただけで苦しくなってしまう状況になったといいます。
本人が納得できるように神経検査から大脳機能のバランスをはかることを前面に出し、身体呼吸療法でとにかく安定した状況を引き出すようにしました。脳の安定したはたらきには、なによりも酸素供給が必要であり、そのために脳そのもの呼吸運動を促進する身体呼吸療法が決め手となりました。


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2018年1月10日水曜日

【健康を見つけた方々】ご主人の腰痛治療からはじまり、家族の健康管理へ

ご主人は53歳の会社員、腰痛や頸痛のため、名古屋の伊藤彰洋DCのご紹介で来院。仕事上の疲労から背筋のかたく緊張していることが問題でした。身体呼吸療法では身体の奥深く息づく呼吸(律動性)を引き出し、身心を弛めます。月になんどか健康維持のためにいらしてます。
高校生の息子さんを連れてきました。朝起きられず登校困難になっているということでした。起立性低血圧のような調節障害のように思われましたので、機能神経学的に小脳機能のバランスをとることを試みました。お兄さんからの良いアドバイス(刺激)もあり、1ヶ月ほどで朝の登校ができるようになりました。
忘れていたのですが、私に足を鍛えるような運動を勧められたということで、陸上部に入って競技に励み県大会へ出るほどになっていることをお母さんが報告してくれました。なにげないアドバイスが思いがけない力になっていました。
あるとき、お母さんがめまいを訴えてご主人に付き添われて来ました。もともとメニエール症候があったとのこと。このときは眼振もなく、めまい感におそわれていました。いろいろな不定愁訴があり、頭の圧迫感、くびの違和感、息苦しさ、動悸、耳鳴りなどいろいろでした。数ヶ月前には顔面神経麻痺で治療を受けていたとのことでしたが、右顎関節での噛みしめが強く、首の付け根の上頸部に重くしめつけられる状況が続いていました。身心を弛める身体呼吸と、匂いの刺激を使い機能神経学的に脳のバランスを整えることですっかり元気になりました。


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【健康を見つけた方々】腰痛で椅子に座ることができませんでした。|痛いところを押したりほぐしたりしない治療法に驚きです。

僕は20代半ばから40代前半まで、腰痛で椅子に座ることができませんでした。
整形外科に受診してもX線に病変が写らないので、鎮痛剤を貰うことくらいしか治療法がありませんでした。その後、様々な民間療法(鍼灸や整体など)を転々としましたが、一向によくなりませんでした。
 次第に僕は座ることをあきらめるようになりました。一日中立っていて、朝方気絶するように眠りにつくのが日常となっていました。「一生立ったまま死ぬのだ」と本気で考えていたのです。なので、どんな治療法に対しても、期待も興味もなくなっていました。
 そんな中、精神科医の神田橋條治先生から紹介された大場先生のことを思い出しました。ちょうど後厄が終わろうとしている年の瀬でした。まさに「なんとなく」行ってみようかな、という気になり12月の下旬に大場先生を訪ねました。
 大場先生の治療は今まで受けた治療法とは全く違う、奇妙キテレツなものに思われました。なにせ、痛いところを押したりほぐしたり一切しないのですから。ところがこの奇妙な体験のあと、僕は「なんとなく」座れるようになっていたのです。少し痛みは残っていましたが、普通に座っていられるのです。不思議とそのことに対して驚愕するようなことはなく、淡々とした気持ちで(いくぶん拍子抜けして)その喜びを受け入れました。
 その数日後、クリスマスのころ2回目の治療に行きました。その治療で僕は完全に座れるようになったのです。クリスマスプレゼントのように。そのまま正月も無事に経過し、痛みが激しく再発することもなくなりました。
 以来、僕は大場先生を尊敬し信頼している次第です。大場先生の治療は、彼の温かい人柄とアグレッシヴなサイエンスの融合で、アートと呼ぶべきものと僕は考えています。そこには「奇跡」のような宗教性はすこしもなく、脳を含めた身体への信頼と微細な観察力が横たわっています。ともあれ、大場先生のおかげで人生に再エントリすることができた僕は、喜んで新HPの原稿を引き受けました。
心療内科 花菜クリニック 副院長 福光武


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【健康を見つけた方々】まさかズレてしまっていた骨が戻るなんて!

私ももう50台後半、癌からの生還者で深部にまだコリを感じはするものの、ここまで良くなったのが奇跡と現状に納得していました。ただ父母両方の家系の点からいっても、目にトラブル多く、ここ10年来、特に右目失明の不安をずっと抱えていたし、右耳難聴気味で日常に支障も感じていたので、薦められるままに大場先生のところに来ました。
 治療後すぐはよくわからないのですが、翌日か翌々日辺りに反応はおきます。通い始めて数ヶ月は鼻からオ血が久しぶりに(以前はよく出ていました)出ました。その後はすっきりします。それも出なくなったので、もうこんなもんかなと、思っていました。ところがです。月に一、二回ほど岡山から通い始めて半年、翌日、いつものようにストレッチをしようと開脚をした時、「あっ、動いた!」とびっくりしました。
 実は私、11ヶ月の赤ちゃんの時に階段の天辺から下までお尻を打ちながら落ちていった話を聞いていましたが、自分では記憶にないこと、まったく意識の中にはありませんでした。ですが、既に高校の頃、右脚付け根に痛みが走り始め、夏休み中一週間も家でゴロゴロして久々に出歩いた時、激痛で足が止まり、この先私は歩けなくなるんじゃないか、「車椅子の人生?」と悪夢が頭をよぎりました。それからはとにかく毎日歩くように習慣づけたら、激痛は抑えられていましたが、違和感は残っていました。何でだろうと気になっていましたが、その時の動きから瞬間的に閃いたのです。ズレていた右坐骨が動いたのだと。
 私も代替療法の仕事をしている者ですから、治療の結果を興味津々に見守ってきました。今、凝り固まっていた筋肉がほぐれて坐骨の正常位置に合わせて右坐骨部を作り上げていく過程だと感じます。日々のストレッチで、以前は意識しないと曲がったままだった右膝も、普通に真直ぐになってきました。更に変化は上半身にも現れました。特に右肩甲骨がやたら気になりだしたのです。自分で集中的にケアし始めたら、右頭部に血流がいくのを感じました。右目の違和感は減り、原因がわかったので失明の不安は消えました。また、重度の顎関節症を五年前に治したとはいえ、まだ右顎右喉奥に残っていた硬さも軽くなりました。
 全身は繋がっているとつくづく思い知らされました。それにしても、まさか一歳にならないうちからズレてしまった骨でも正常になるという人体の復元力の凄さに驚きを禁じ得ません。自分でも「ウソでしょ」と言いたいくらいです。その復元力を引き出してくださった大場先生には本当に感謝でいっぱいです。残りの人生、健康不安なく生きていけます。これが身体呼吸法の神髄なのですね。ありがとうございました。諦めなかった自分にも乾杯!
しをり癒ったりサロン  新井君子、岡山市


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【健康を見つけた方々】お友達にどんな治療かと尋ねられるのですが、どうこたえていいかわからないのです。(患者さんからの一言をいくつか集めてみました)

○長いこと後頭部に鈍痛があり、これがストレスになってつらい毎日を送っていました。私が勤めているクリニックの近所にありましたので、とにかく飛び込んでみました。パンフレットに書かれていることが治療を体験して実感できました。今は本当につきものがとれた感じでいます。(おさかさん27歳 女性、ナース)

○持病のめまいが起こるたびに治療を受けて治まっています。治療を受けているとき、なにかサァッと足先まで通った感じがありました。あの感じは忘れられません。細胞/組織レベルで呼吸が起きる感じでした。(川上先生 69歳 男性、カイロプラクター)

○私の楽しみは滝行で爽快感を得てストレスから解放されることなのですが、それに通じるところがあります。80歳になる母親も治療に行くと、いつも元気を取り戻しています。(熊沢さん50歳 男性、看護士)


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【健康を見つけた方々】遠いところから訪ねた甲斐がありました。|東京に住む娘のおかげで施術を受けることができました。

○座骨神経痛で苦しんだ長年の日々、今はあの苦痛がなかったかのように元気に過ごしています。本当にありがたいです。(新潟の青柳さん)

○膝の痛みで散歩もできずにいましたが、おかげさまですっかり良くなりました。連れて行ってくれた娘夫婦にも感謝しています。(尾道の山田さん夫婦)


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【健康を見つけた方々】精神科医の神田橋條治先生から薦められて・・・

息子が大場先生のところにお世話になってからずいぶん経ちます。中学のときからテンカンを起こすようになり、まわりにご迷惑をおかけしていましたが、こうして東京でなんとか一人でやっていけるのも大場先生のおかげです。(母、カウンセラー、金沢市)


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【健康を見つけた方々】膝の痛みを堪えて舞台に、原因は頸椎の障害にありました

後で知ったのですが、いわゆるトップスターと呼ばれるダンサーの女性でした。
全身の調整をはかりつつ、障害となっている部位を探っていたのですが、頸椎にゆきつきました。
聞くと舞台では重い鎧甲を身につけて演舞しているとのことで、どうもそれが頸椎にかなりの負担となっていたようです。
頸椎のいわゆる微妙なずれが、全身に捻れや傾きを引き起こすことがよくあります。

具合がわるい後輩がいると声を掛けてもらっているようで、ときどきなにか華やかな感じになることがあります。


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【健康を見つけた方々】歩行困難な腰痛/下肢痛、整形外科医から勧められて

Oさん 主婦(60歳)、三島の穴吹弘毅先生のご紹介でMRIを持参し来院されました。MRI画像ではとくに第4腰椎と第5腰椎の間の椎間板損傷があり、椎体のすべりも見られます。やはり手術ということになるのでしょうが、本人の願いから保存的な療法を希望されていました。数十メートルの距離を歩くのが精一杯で、たいへん痛々しく感じられました。



結合組織の線維を通る流れがつまった感じがありますので、身体のなかの内圧変動を引き出しなかの減圧を試みる施術(身体呼吸療法)を繰り返しました。また、本人が積極的に自分でできることを望まれていましたので、プールで歩くことを勧めました。その甲斐があって、2ヶ月ほどして、休まずに歩けるようになり、家事もできるようになったと喜んでいました。本人の強い意思と努力があってのことと思っています。



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【健康を見つけた方々】こどもの脳はすばらしい|おどろくべき可塑性(適応力)を引き出す機能神経学的なアプローチ

小さなお子さんが正常な発育が困難とされても、それでも未知の可能性に向けて成長し続けます。さまざまな支援が必要とされます。機能神経学的なアプローチもその支援の一つとしてユニークな試みがなされています。

機能神経学的なアプローチは、さまざまな感覚様式(モダリティ)から脳へと刺激を伝えます。平衡バランスは小脳を経由して脳へ、視覚的な刺激は眼から脳へ、そして音は耳から脳へ、それぞれの感覚刺激は脳で統合され、身体と周辺環境の関係を空間的に時間的に把握されます。感覚刺激の与え方について機能神経学的な工夫がなされています。


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【健康を見つけた方々】ミルクを自力で口から飲み始めた! 低酸素脳症で生まれた乳児

「○司も今年(平成25年)、小二になりました。先生にお世話になっていた頃がなつかしく思い出されます。最初にうかがった翌日には自力でミルクを飲み始め、生きることを選択してくれたことに感謝しています。いつか家族で足を運びたいです。(お母さんからの年賀状から)」

○司くん 生後8ヶ月(H17.3月初めころ来院)
小児の神経系はきわめて可塑性が高いために、大人ではみられない驚くほどの変化がみられます。重度のてんかんのために、脳の半球を除去された小児でも、片側の脳半球がそれを補い通常の発育はもちろんのこと、ときには驚くべき才能を開花させることもあります。それだけ小児にはかぎりない可能性が秘められています。その秘められた可能性をうまく引き出すことが私たちの役目と思っていますが、私たちの分野では往々にして施術者自身の考え(理論)が先に立ち、こうかな、あれかなとあれこれ無理な治療を強いているように思えます。このような治療ではたいていうまくいきません。私たちだけでなくすべての生き物は、この地球で大きな生命(いのち)に育まれて生きています。可塑性の高い小児こそ、この大きな生命にゆだねてこそ解決する問題があるように思えます。秘められた可能性が開く為すべきすべがあります。それは大きな生命に、小さな生命を開いてあげることと確信を持ちつつあります。
呼吸は身体の枠を超えてひろがりをもつことが可能です。そのような呼吸を、私は「呼吸がひらく」と言っていますが、透明感のあるひろがりとして感覚化できます。小児はこの透明感のあるひろがりができるように、施術者である私自身が透明感のある呼吸で接するだけなのです。若いお母さんが一緒に連れて治療に来たときなど、赤ちゃんが鼻炎や中耳炎などでぐずついているときに、そっと施術してあげると翌日には良くなったと報告してくれる方が多くなり、少しずつ確信的な思いができてきていました。今回、それがさらに大きな確信として実感できたケースでした。

最初はお父さん自身が左の首筋がつらいという愁訴で来院。身体呼吸でみると左胸が重く曇った感じがあり、なにか悲しいことあるんじゃないですかと尋ねたところ、赤ちゃんのことを話し始めました。出産時、臍帯が巻き付き心肺停止の状態に近かったということで、ミルクを飲むことができず発育が著しくそこなわれている状況にあることを話してくれました。「実は、赤ん坊の方の治療に適しているかどうか試しに来てみた」ということであった。父親の症状が数回で解消していったために、安心して赤ん坊を連れてくることになったのです。
 手に抱いた赤ん坊は、鼻から細いチュープを差し込み、そのチューブが頭に貼り付けてありました。赤ん坊はほとんど身動きせずぐったりとした感じで、眼は右を向いたままで、微妙に眼振が起こっていました。どちらの方向に急速相があるのかわからないほどです。涙の出方を尋ねると、右眼からはあまり涙が出てこないとのこと。小さな手のひらに、指で触れても握り返してきません。眼で見ている対象に注意がいってないようです。ときおり仁王様のような原始反射的な動きが見られることもあります。表情に偏りはありませんでした。泣いたりもしないので口の中を見ることができず、舌の偏りなど確認はできませんでした。
 これまでの経験から、最初はスッと透明な感じに接触できるように、ほんの一瞬だけにとどめました。できるだけこちらが大きな介入(侵入)とならないように注意をはらったわけです。私がちょっとの間抱いていた赤ん坊を返されたお母さんには、何をしてもらったのかもわからずに戸惑ったかも知れません。最初はあまり刺激したくないことを告げて、様子を後日聞かせてもらうことにしました。
 お母さんがミルクをあげるのに、注射器を取り出しチューブから数回ミルクを押し出している様子を目の当たりにして、痛いほどつらい親御さんの悲しみが伝わってくるようでした。
 最初の治療から翌日、これまでになくミルクを多量にしかも速やかに自分の口から飲んだと言うことで、お母さんが喜びと驚きの様子で電話をくれました。ひょっとしたらミルクを飲めるようになるのかも知れないという期待感が、最初の出会いから膨れ上がってきたのです。
 二回目に来院されたときには、両眼は左にも向くようになっていました。母親をさがすような気配もありました。小さな手のひらに触れると握り返してきます。確かに何か変わった印象が強く感じられ、初回の接触がこれほどの変化を起こすものかと私自身、驚かされました。今回もまた、できるだけ介入を避けるように一瞬、透明な呼吸で接触しただけでした。そしてお母さんに返すと、一緒に連れ添ってきた初孫で心配でしかたがないというお婆ちゃんが、エッと驚いたように「これでわかるんですか」と声をあげたくらいです。お母さんは、「抱けばいろいろとわかるようです」と応えていました。これまでにもなくミルクを飲み始めたという出来事で強い信頼を得ることができたようでした。この赤ん坊にとっても幸いなことだったと思うわけです。何の変化もなかったらこのような信頼は簡単に得られるわけでもないのです。運があったのかもしれません。週に二回、こうして赤ん坊を治療することになりました。徐々に神経学的な刺激を加えることも併用しました。あるとき右眼から涙がジワッとわき上がってきました。確かに刺激が伝わっているのです。
 二ヶ月近く経ったのでしょうか、あの痛々しいチューブが付いていません。尋ねると、かなり自分で飲むようになり、治療室ではヨーグルトを一つたいあげるほどになっていました。これで最初の親御さんの希望であったミルクを自力で飲めるということが叶ったのです。


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ご挨拶|身体呼吸道とは

1978年ころアメリカで頭蓋療法Craniopathyに関心をもってから、それ以来ずっと身体の息吹ともいえる身体内部の圧変動を感じるままに探求してきました。その過程で、日本人的な感性からハラ呼吸を意識するようになり、能の息遣い、居合のハラの据え方などを習いながら、ハラ呼吸のメカニ...